船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第7回

仮入隊から入隊式まで 続々偏




入隊式当日は、海軍2等飛行兵に任ず。第16期海軍甲種飛行予科練習生を命ず。の告
示の後,司令の告示に続き、司令が練習生が整列している列に入り、巡視される、そ
の時立ち止まって、姓名を聞かれた場合、各自の軍籍番号(佐志飛59048)・本籍地、
姓名を大声で申告する事になっている。

その為、各自は、自分の兵籍番号を暗記するのに努力する。次ぎに、当日の第1種軍
装(憧れの七つボタンの冬用制服・予科練特有の帽章のついた制帽)を着た状態での、
整列・行進などの訓練が分隊毎にされる。

多分、入隊式の後であったと思うが、階級章が支給されたように思う。馴れない不器
用な手つきで、制服の右袖の所定の位置に縫い付けるのである。

二等飛行兵のマークは、錨のみで、錨の上に、兵科識別の桜のマークの七宝焼の小さ
い金属製の桜マークを縫い付ける。

桜マークの色は、飛行科はスカイブルー・整備科はグリーン、一般兵科(砲術・通信
・水雷・運用など)は黄色・機関科は紫色・主計科は白色・衛生科は多分赤色ではな
かっただろうか。

科の識別は、マークが小さいので、少し離れると識別は難しい。

ランチ(交通艇)や自動車には、それに乗っている士官の階級に応じて、尉官は青、佐
官は赤、将官は黄色の三角形の小旗を掲げることになっていた。これは、陸式も同じ
だったようである。

ここで、服装について、記憶を辿ってみます。
当時は、物資補給が窮屈になってきていた頃で,私たちが支給された、衣類も、新品
在り、古着であったり、種類も少ないと言った状況でした。これは、航空隊によっ
て、まちまちの事情があったようで、他の隊に入隊した同期生と較べて、戦後わかり
ました。

第1種軍装 (冬の制服、 七つボタンの上下)  1着
第2種軍装 (夏の制服、 白色の筈が、戦雲ままならない時期になり、ブルーグリー
ンに着  色染め替えてありました。多分6月の衣替えの時、第1種軍装と引換えに貸
与された。)
第3種軍装 (陸戦服・略装とも言った。練習生は日常授業服「上下セパレートの白色
の帆   布製を着用するのが、普通であったが」、我々には支給が無く、3種軍装
で日常を過ごし  た。)
制帽   1 (夏は、カバーをかける。この時は、白色でなく色染め)
略帽   1 (第3種軍装と対で用いる。物資が有った時代には、第3種略帽のほか
に艦内  略帽として、夏冬別々の帽子が支給されていた。この帽子には、下士官は
1本、士官に
  は2本の黒または  白線蛇腹がとおって居た。一般に言われている戦闘帽)

短革靴  2足
運動靴  (普通、艦内靴と運動靴が支給されるのであるが、我々には、支給が無
く、後に、  土工作業をするようになって、地下足袋(現在、建設現場等で利用さ
れている日本独特   の作業靴」が支給された。」
体育服  1着 (半袖・短パン)


下着類
  私物の使用は、一切厳禁、ただし越中褌だけは、許されていた。

冬の上シャツ  ネル製のボタン掛け詰襟風の下着  2枚
冬の袴下    ネル製で、時代劇映画で出てくる股旅役者が吐いている日本古来の
ズボ   ン風の物で、スソ,腰は紐結び   2着

夏シャツ  ポロシャツ風の上シャツ   2j枚
夏の袴下  ????思い出せない

褌     支給された官給褌は、これまた驚いた。現代のビキニ水着のセパレート
型の三    角巾に紐をとぉしたようなもので、生地も縫製も雑な物  2枚
靴下   いわゆる軍足で、現在のような踵は織り込まれていなくて、真直ぐな袋編
み 2足タオル  西洋タオルではなく、和タオルで、これも粗悪品で困った。

以上で有ったように記憶している。そしてこれらを仕舞う衣嚢袋も、海軍独特の帆布
製筒状の頑丈なものでは無く、リュッサック型になっていた。

儀式・上陸(休暇外出のこと)以外は、略装ですごす。夜寝る時は、下着姿のままで毛
布に包まる。準士官以上には寝巻きの利用が出来た。


つづく


最終更新(1998/12/12)