船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第6回

仮入隊から入隊式まで   続偏




正規分隊編成から数日の後に(たしか4月5日)入隊式があるわけで、その数日の内
に、一門の甲種飛行予科練習生としての格好をつけなければならない。

分隊長をはじめとし、分隊士・教員・教員助手が総がかりで、新兵教育に取掛かるの
で有る。

海軍では、陸軍方式のことを、陸式といって、差別していた。
先回述べたように、我々は、陸軍式のクセがついているので、ついにはコラァー陸式
と言って怒鳴られる場面が多かった。

先ず、海軍式の用語に習熟するのが大変である。
雑巾のことをソーフ,テーフル拭き雑巾が内舷マッチ、食噐拭きがテーブルマッチ・
大きな洗い桶がオスタップ、居住区の床は甲板と言った具合で、呼称が全く海軍独特
のものである。

それに、ラッパによる号令は、陸軍では、鳴り始めたと同時に、その号令を判読し
て、初動に移るが、海軍では、ラッパのメロデイーが1回鳴り終えるまでは、初動を
起こしてはいけない決まりになっている。

公室と私室の区別があり、分隊長室・分隊士室・教員室の中は、私室に当たり、当直
士官室は、公室になり、我々の居住区は、公室に成ったり私室になったりで、私室で
は脱帽をして前屈30度の礼、皇室では、着帽の敬礼の仕来たりになっている。

その数日の間に、日常生活の細細した決まりや、日課の進め方など等それはそれは,
追いまくられながらの躾教育が始まった。

本当に、総員起から、温習時間の最後にあの有名な、五省を大声で全員斉唱し反省録
なる日記張に記帳(これが手元に残っていたら、もっと色々なことを思い出したのに
な??)して、寝具用意、巡検準備・就寝・巡検まで、私語を交わす暇も無く、オ
ソーイ・オソソーイの叱咤の中で1日が終わって行く。

要するに、海軍では、艦内生活を想定して、陸上勤務でも、出来る限り艦内生活を模
して、用語と日課の進め方が出来上がっている。

<巡検について>
陸式では、就寝前の整列点呼といったところですが、海軍では、艦内の狭いところ、
居住区兼食堂兼時には通路,又は、作業場などと言ったスペースに、吊床を吊って寝
室にする関係から、消灯時間の前に、寝具用意の号令が掛かります。
陸上の施設でもこれに倣っています。

次いで消灯の号令が掛かる、それにより練習生は、寝台に入り寝た姿勢(この時は本
当は眠り込んではいけないのであるが、疲れているので眠りこけることが多かっ
た。)で、巡検を寝台(福空は、2段式木製ベッドの藁指揮布団であった)の中で待つこ
とに成る。

巡検ラッパが響きジュンケーンと言う号令がなされる。
さあー、この巡検ラッパのメロデイーが問題なのである、物悲しいメロデイーである
のに、それを寝台の中で聞くのであるから、ホームシックや諸々の思いで何回も涙を
こぼしたか判らない、この気持ちは、経験者で無いと本当の意味は通じまい。

巡検は、艦内の安全・乗員の確認・装備設備・防火などの事項を、点検する毎日の日
課である。

されに当たるのが、副直将校(各兵舎群の当直室に各分隊の分隊士が交替で当たる)
と、甲板士官(隊内の風紀・士気・整理整頓についてのお目付け役で若い少尉中尉ク
ラスの海軍精神の持ち主のバリバリが任命されていた)、当直下士官の懐中電灯の灯
りを先導で、各兵舎・洗面所・かばやを巡視点検してくるのを、各分隊では、当直練
習生と当直教員が、出迎えるのである

先ず、当直練習生が「第何分隊総員○○○名異常有りません」大声で巡検の士官に報
告した後、歩調をとって、分隊の兵舎内の通路を、先導して,次いで洗面所・かばや
へと進む、
この際、兵舎内の整理整頓、用具始末具合等が、乱れていたら指摘されるので、その
時は、後が大変なのであ。

海軍で将校と言う呼称は、当直、副直、ぐらいで、殆どが何々士官であり、陸式で
は、何々将校と言い、週番士官ぐらいが士官といっているうように違った風習であ
る。 

<巡検終り、煙草盆出せー明日の日課予定表通り、>
各兵舎の巡見が終わったら,巡検終りの達し号令が出されて,実戦部隊ゃ教員下士官
は、煙草の時間になり四方山話に花が咲くところであるが、練習生は、そうは行かな
い、

第○班、静かに通路に整列の達しがだされることが多く、それから約30分から1時
間近く、教員または、教員助手によるお説教が始まり、時として、一発を見舞われた
り、同期生同士でのビンタの張り合いであったり、前支え(腕立て伏せ)や、踵上げ・
膝半屈・手旗12原画の姿勢で何00分間といった罰直がある。


つづく


最終更新(1998/12/12)