船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第5回

仮入隊から入隊式まで




仮入隊の初日は、右往左往しながら、分けの判らないうちに、過ぎて
行こうとしていた。数日早い入隊の期友にいろいろ教えを受けた。

仮分隊ての数日、3日間ぐらいの間に、分隊長をはじめとして、先任教
員が中心になり、海軍のしきたりや、一日でも早く軍隊生活になれるよ
うに、丁寧に教えていくのであるが、娑婆(海軍では軍隊以外の一般
社会のことを娑婆という。)の気分を払底して、軍人らしくしろと、今で言
うOJTで教育するのである。

我々が、まず、まごつくのは、敬礼の仕方である。我々は、中学校で
陸軍の歩兵操典を下に、陸軍の配属将校の指導をうけて、軍事教練
に励んできたから、肘を斜め45度の角度から上げてする海軍式敬礼が
中々出来ないで、それでも、海軍軍人成れるかーと怒鳴れる。

次ぎが、上官の敬称である。
何々少尉殿とか、何々一等兵曹殿と呼ぶのが陸軍式で、娑婆の習慣
でも有るのだが、海軍では、只何々教員・何々班長・何々大佐と官等
級または、職名をつけたら敬称は付けない事に成っていて、これに、
慣れるのに一苦労といった按配。

>その習慣の所為で、私は,今も苦労している。それは、他の会社等を
訪問した時「何々部長さんは、とか、何々社長さんは」と言うべきところ
を、何々部長は云々といって、仕舞ったと悔やむことが多いのです。<

兎に角、仮入隊の分隊生活3日間で、起床から、寝具用意、巡検まで
の日常生活の日課に慣れていくのである。

4月に入ると、正規分隊に編成替えになるのである。
福空での16期の編成方法は、ツペルクリン反応が、陽性・疑陽性・陰
性に区分、更に年齢順に分けられた。

ちなみに、陽性の者は、第11分隊から第15分隊まで、年齢の大きい順
に配属、第16分隊が疑陽性の者、第17・18・19分隊が陰性反応の
出た者で編成された。

私は,陽性反応が出ましたので、第14分隊第4班に入れられました。
年齢層は、s4年 5年生の者が中心でした。

ここで、第14分隊編成を記します。
分隊長  佐野陽一中尉(整備科士官・予備学生出)・
甲分隊士 平瀬定行 少尉(飛行科士官偵察・予備学生出・後に中尉)
乙分隊士 平岡 ? 少尉候補生(兵科士官・予備学生出)
先任教員 武田 ? 上等兵曹(兵科・砲術学校高等科出)一班長
二班長  三浦 ?  二等兵曹(兵科・砲術学校高等科出)
三班長  欠員
四班長  九郎座 ? 三等兵曹(通信科・通信学校出・後に転属)
四班長  古川 ?  一等兵曹(通信科・通信学校高等科出・交替班長)
教員助手 加藤 ?  飛行兵長(甲飛14期操縦分隊・一班担当)
   々  坂口 ?  飛行兵長(甲飛14期操縦分隊・3班担当)
   々  上田 ?  飛行兵長(甲飛14期偵察分隊・4班担当)

各班16期練習生は、36名内外で分隊で120数名であった。
回りを見回したら、K県出身者が約三分の一ぐらいいた。

本編成になってからの、訓練指導は、一日でも早く、練習生を躾て、娑婆気
を抜いて,軍人らしくする事に集中して教育が始まる。

仮分隊は、お客様であった訳で、本編成のの日から、正規の所属練習生を
他の分隊に負けないよう(込みやられないよう。海軍用語)にしごかれる事に
なった。

起床・体操整列・甲板清掃・朝食・朝礼整列・午前課業・昼食・午後課業・
別科課業・軍艦旗降下・夕食・甲板清掃・温習・寝具用意・就寝・巡検と
いった、日課が繰り返されて行くのである。

海軍では、有名な何事にも、5分前の号令がかかる。
総員起5分前、この時は、寝床の中で、次ぎの動作をするために心構えを
整えて、寝静まった状態で無ければ成らない。インチキして、服でも着て、
いたら一発顎修整である。

総員起しは、ラッパの後、「そーういん・おこーし」と、ゆっくりとした口調で
拡声器から流れる。それから寝るまで、教員・教員助手が、指揮棒で
床を叩いて「おそいー・おそそーい・何をぼやぼやするか」と、怒鳴られ
娑婆とは天地の差まるで地獄か監獄の中みたいな日課が就寝まで
続き、一日がめまぐるしく過ぎる。


つづく


最終更新(1998/12/12)