船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第4回

当時の福岡海軍航空隊




うろ覚えの記憶をたどり、福空のプロフイールを記します。
周船寺町の田園地帯を、整地して、兵舎群と、町道を隔て、800mぐらいのペトン
で固めた滑走路の有る飛行場が、基地になっていました。
隣町の前原には、福空の分遣隊として、小富士海軍航空隊(予科練中心の練習航空隊)
がありました。
両航空隊とも、第20聯合練習航空隊の麾下にあり、戦況逼迫に伴い、鹿児島海軍航
空隊に在った、予科練甲15期が移転していた。

まず、当時福空には、甲飛14期(松山空から移動のようであった)・甲飛15期(両
期とも、予科練教育は既に終了しているが、戦況悪化で、飛行練習生としての訓練施
設が無く、飛練に進めないでいた。)の残留分隊(各分隊の半数は、大村空とか、各地
の、実戦航空隊に、基地要員として派遣されていた。)

基地隊として、普通科分隊(海軍の分隊は、陸軍の中隊に当たる組織で、大体120名前
後の編成)・整備分隊(飛行隊がいないので、格納庫管理と、旧式の97戦1機を管理
していた)・医務分隊・主計分隊(烹炊所・衣服その他補給)があり、飛行場の増強工
事のため設営隊が在隊していた。

そのような、基地の編成に、我々甲飛16期が、第11分隊から第19分隊までの,
新入隊をしたのである。

当時、s20年4月頃、飛行場には、白菊機(機上作業練習機)を主力とした特攻訓練
中の隊がわずかの間ではあったが仮在隊していた。

広大な基地の中に、3群の兵舎群(木造平屋のバラック建て、1兵舎に1分隊が入って
おり、各兵舎は、分隊長個室・甲分隊士個室・乙分隊士個室・教員公室・食堂兼居住
区兼教室と蚕棚状の衣嚢棚が両サイドにある寝室(木製2段ベッドであった。)がレイ
アウトされた約7mx28mぐらいの広さであった。

各兵舎群は、基地本部・士官室群・正門前広場を隔てて、第1群に、普通科分隊等の
基地隊・酒保・床屋、続いて第2群に、予科練14・15期の各分隊の兵舎それか
ら、広い練兵場の端に医療棟・適性検査場・化学兵器訓練棟があり、さらに、運動場
があり、第3群の我々16期の各分隊の兵舎群である。

飛行場に近い場所に、格納庫が2棟あった。
各群毎に、烹炊所と浴場棟が配置されていた。
長々と、福空の風景を描写しましたが。中身は、皆様には、興味の無いことで、しか
し、私にとっては、飛ばして書き進めない記憶の一端ですのでお許しください。
今回は,これにて仕舞います。次回は、仮入隊から入隊式までの、模様を報告しま
す。


つづく


最終更新(1998/12/12)