船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第3回

いよいよ福空に入隊




3月28日朝、博多駅頭に到着した我々を、福空の下士官教員の出迎えを受け、九州大
学医学部付属病院へ引率され、入隊前の最終身体検査が実施されました(これで、失
格採用取消しになった人もいました。)

身体検査は、今日の簡易人間ドックに近い内容で、受験の時より、身体の特に健康状
態について厳密にされたようです。

身体検査が終了した後、日蓮上人の銅像の有る公園で、昼食になりました。昼食後、
引率下士官の指示で、弁当の残りや、故郷から持参した一切の食物を、公園のチリに
集めよとの事で、母が、丹精こめて作ってくれた海苔巻弁当を悲しい気持ちで捨てま
した。

公園には、浮浪者が数人屯しており、彼らの口に入ることになったでしょう。

いよいよ、博多駅から唐津行きの列車で、数駅先の周船寺に向い、福岡海軍航空隊の
隊門を潜ったのは、15時頃です。

引率されて行った兵舎には、第16分隊で、先着の同期生が既に待っていました。こ
の第16分隊が、正規編成までの仮分隊です。

早速、諸々の指示と、簡単な説明があって、夫々の軍籍番号が知らされたようです,
(佐志飛59048)、次いで、衣嚢が渡され、一式の被服が揃えられていた。

さあ、憧れの七つボタンの制服がと、ワクワクと開いてみたら、
制服 第1種軍装 (海軍では冬の制服を第1種という)   1着
   第3種軍装 (ライトグリーンの戦闘服、又は略装とも言う)1着
   下着類(シャツ2枚)・褌・体育上着・パンツ 一式
   革靴 2足 ・ 
   軍帽(庇のついた下士官型・帽章は、予科練の桜に錨で、当時の下 
   士官の帽章は、錨に茗荷があしらわれていた金属製)
   略帽(戦闘帽で第3種用) 
   手箱(文房具や、小物を入れる木製の小箱)
が、わたされ、各自それらの貸与品に、各自の氏名と軍籍番号を記入する様にとの指
示であった。

さあ、それからが、大変なのである、巷間に軍隊噺によく出てくる。光景が広がるの
である。

服や靴・帽子がダブタブであったり小さかったりで、アチラコチラでブーイングの連
発である。
その時、教員の一喝「服に体を合わせろ」である。無茶苦茶無理偏の第1号で有る。
 これは大変なところに来たのだなと、実感を持ち始めることになった。

それでも、周りの未だ顔見知りもない者同士で有ったが、交換し合ってピッタリとは
いかないが、何とか不自由しない程度の物と交換あって落着した。

それから、数日、本編成になるまで、仮分隊で、娑婆気と軍隊精神への転換について
の訓育指導がされることに成る。


つづく


最終更新(1998/12/12)