船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第26回

長崎県北松浦郡佐々町 青年学校での 清水中隊




 7月末日近い日であったろう、度々の烏合集散の末、佐鎮第14特別陸戦隊第2大隊
清水中隊が、佐々青年学校の校舎を、隊舎として開隊したのである。

 佐々は、松浦湾の内懐に位置する、海岸に接していたのであるが、青年学校は、
山手の小高い丘の麓にあった。木造2階建ての小さな建物で、2階に1教室、1階が2
教室と、別棟に、宿直室兼用務員宿舎があった。
 
 我々2小隊(岩山小隊)は、2階の教室が割り当てられた。別棟が、士官室にな
り、数日後に赴任してきた清水中隊長、前田中隊付き士官と、菅、岩山、本田の第
1〜3小隊長と、中隊付き下士官と、新たに加わった、一等衛生兵の、7名という
多勢が、2部屋程度の狭いところに入ることに成った。

 一つの隊が独立して、活動することになると、いろいろな、用務をこなさなけれ
ばならない。其の第一が、歩哨、夜警、営門哨兵などの衛兵業務であり、早速、1
5期生が、衛兵伍長の役割で、各小隊が持ちまわりで、衛兵当直をすることに成っ
た。

 当時、青年学校には、日清戦争当時の陸式小銃(多分村田式で有った。)が、教練
用として、数拾丁有ったので、それで、武装(勿論、弾の出ない訓練銃である)し
て、哨兵当直に立つわけである。

 食事は、数百メートル離れたところに有る、佐々国民学校に駐屯している第2中
隊の烹炊所に食卓番が受け取りに行くことに成った。

 移動して、数日は、士官も連絡その他で忙しく、我々も、色々な雑役に駆り出さ
れていたようで、日課も定まらなかったが、我々としては、この編成で、敵の上陸
攻撃に備えて、水際作戦のための任務につくことに成ると言った程度のことが、分
かってきた。

 数日して、雑役がない小隊では、陸戦訓練を始めたが、隊の中で、陸戦に精通し
ているのは、中隊付き下士官一人で、手探りでの訓練で、其の内、マルト兵器??
が我々の装備になるらしい、そして、それらをもって、水際で、敵戦車や、上陸舟
艇に肉弾攻撃をするのが、我々の隊の任務であると言ったことが判明してきた。
 
 其の兵器たるものは、現在の感覚で考えると、荒唐無稽の玩具みたいな、粗製濫
造、間に合せみたいな兵器で、それでも、サンプル程度の模型が支給されていて、
只、形を想像できるのに役立つ程度であった。

 狙撃銃=現在の狙撃銃と言えばゴルゴ13に出てくるような、スコープ付の命中
精度の高いものを想像されるであろうが、さにあらん、99式陸式小銃も、全員に
支給出来ないほど、欠乏の時代であり、その銃たるや、鉄パイプに、装弾構造と撃
鉄と引き金が作りつけられた、手製の鉄砲である。それはもう、子供の兵隊ゴッコ
でも、もっとマシな玩具を使って居たであろうに、敵と合間見えて、対峙しようと
する兵隊に装備するにしては、笑い事では済まされなかった。

 箱爆雷=海軍で各人に貸与され使用していた、家庭配置薬の箱程度の、木箱を利
用した爆雷で、箱に爆薬を詰めて、長い紐を雷管(起爆薬)と連動させて、その爆薬
の入った木箱を戦車の動帯に投げて、紐を引っ張って爆発させる仕組みのものであ
る。

 棒地雷=4x6センチの楕円形状で、約60センチ程度のブリキ製棒状のもの
に、爆薬を詰め、それを竹竿の先に括り付け、戦車の下に敷かせて爆発させる構
造。

 円錐爆弾=直径25〜30cm高さ25cmぐらいの、ブリキ製の円錐形のもの
で、底辺の平らな部分が頭で、突起をつけてあり、これが信管を作動させる仕組み
で、逆円錐形を、竹竿の先に取りつけて、直接戦車に突きつけて、爆発させる構
造。

 破甲爆雷=これは、亀の甲みたいな形をしており、これは、本格的工場製品で、
手のひらに乗る程度の大きさで、磁石がついていて、戦車の外板に吸い付かせて、
爆発させるもので有った。

 チビ弾=陶器製で、丁度茶碗蒸の器みたいな形をしていて、戦車の銃眼や窓等の
開口部から投げ込み、目くらまし程度の爆発と、ガスが発生する仕組みのもの。

 このような、装備で、水際陣地を構築して、蛸壺等の遮蔽に一人一人潜み、上陸
してくる戦車に特攻肉弾攻撃をするのが、我々予科練中隊に与えられた任務であっ
た。

 以上のようなことが、分かって来ては居たが、我々が、配置に就く、海岸には行
くこともなく、大八車に、戦車の仮装をして、模型の爆雷兵器を使って、肉薄攻撃
の訓練を数日続けていた。

 ここで、変わった事と言えば、風呂を近辺の民家に、各小隊毎、契約して、貰い
湯をすることに成り、交代で、午後の早い時間からバス当番で、貰い湯の民家に
行って、風呂沸かしの役務につくことであった。

 我が小隊の、民家は、土地の写真館であり、同年輩の女学生もおり、当番の日
は、ワクワクしたものである。

 そのころ、日本中各地が、B29や艦載機による空襲を受け、焦土と化してきて
いる実態や、ニュースなど、世間のことは、全く分からないで、其の日の日課に追
われて、てんてこ舞いをしていたのである。


つづく


最終更新(1998/12/18)