船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第21回

陸戦隊編成での飛行場整備作業




甲飛14,15,16期の、福空在隊の練習生隊を、解体して、混成の陸戦隊編成
が、されたことは、前項までに述べました。
いよいよ、飛行場作業に取り組むことになったが、我々の隊に割り当てられた、現場
は、滑走路から東北東に、約1kmぐらいいったところに在る、丘の中腹に、飛行機
の掩退壕の新設構築作業であった。

その他、避退誘導路の構築ほか、さまざまな、作業区分があったようである。

我々の、作業は、丘の中腹を、半円形に掘削して、飛行機の1機分の広さのオープン
壕を構築、その壕に、蒲鉾型の梁を設置して、草木で、擬装することであった。

多分、6月の第2週目ぐらいから、約3週間と数日の期間で在ったように記憶してい
る。

そのような、背景で、作業に取り組み始めて、数日後に、戦時日課態勢に移行した。
05:30 起床、06:00には、作業現地に向かい、直ちに作業開始、朝食・昼
食・夕食共に、食卓番が、基地の烹炊所から、作業現場に運び、三食とも、作業現場
で済ませて、帰隊するのは、18:30ごろになっていたようである。

この様に、突貫作業がなされた。
この間、我々は、初めての経験で、14,15期生の飛行兵長と、階級が上の先輩と
生活をすることに成って、色々な戸惑いを感じていました。

勿論、16期が人数も多く、下級者であるので、食卓番は当然、作業の主力に為らざ
るを得ません。

分隊長(このときの分隊は、陸戦隊編成の分隊で、15名程度の編成)の14期生を
先頭に、14期 3〜4名、 15期生 3〜4名、 16期 6〜8 名が、他の
分隊と、作業区分して、構築作業に取り組むので、
他の分隊との比較され、その結果、14期生から発破をかけられるといった事も度々
在った。

しかし、14期生は、我々16期生に対しては、兄のように振舞ってくれた、15期
生は、中間にあって、苦労していたようであったが、大方は、16期生の練成不足
に、
同情的な感じをもっていたようであり、最初の戸惑いも薄れていった。

藪を、切り開いての作業の中で、時として、山芋ほ掘り出したり、食べられる、野草
を採取したりして、昼のおかずつくりをしたりした。

山芋のおろしには、金網を探して、手に入れて道具にした。
ときには、蛇をとらえて、蒲焼にするといったことも在った。蛇の皮を剥ぐのに器用
なひともいて驚いたりしたが、私は蛇アレルギーで、見ているのも大変な経験で在っ
た。

基地内での、正規日課に比べ、作業は、土工作業で堪えたが、甲種飛行練習生の絆の
中で黙々として、作業に就いていた。

その様に、起床から、就寝まで慌しい日課が続いていた、現代なら、大型建設機械
で、瞬く間に、完工する事になるのであろうが、モッコと鍬、スコップと、人力で構
築に取り組んでいって、略八分目程度の進捗度で、外観が出来あがった時点で、いよ
いよ、佐世保鎮守府特別第14陸戦隊(この隊の名前は、佐世保に行ってから判明し
た)に転属する事になる。

それは、我々が上等飛行兵に進級して、すぐであったので、7月の早い日であった。

転属令が出された。我々には、どこに行くのか訳が判らなかった。
例により、各自衣嚢を担いで、本部指揮所前に、各隊毎に整列して、この列とこの列
で一隊など、編成替えが進められた。

前項で、述べたように、今回は2回目の編成替え経験であるので、ある程度、組分け
を予想して、気心の知れた、期友と離れないようにしたが、何処に、配置になるのか
は、判らないので、ただただ、期友と離れ離れにならいないようにするのみである。

いくつかの組分けが出来た時点で、行き先が示されたのであるが、我々は、汽車で
針尾海兵団に向かうことが判ったが、詳細はわからないので、仲間同士勝手に詮索
してみるが、これといった確定的なことはわからなかった。

つづく


最終更新(1998/12/12)