船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第19回

臨戦態勢の逼迫




5月の上旬の新兵教育終了の特別査察が終わって、操・偵コース判定の、適性検査の
後、突如予科練教育の中止を申渡され、飛行場整備作業についたことは、前述しまし
た。

5月中は、半日の半舷上陸では、憧れの七つボタンの制服を着て、外出も経験し、
隊に残った場合、特別な隊内作業がない日の午後のひととき、隊内演芸会
をするといった、息を抜ける時間もあった。

しかし、正規教育の課業が、飛行場整備作業に変わっただけといった、雰囲気で、予
科練習生として躾教育、優秀な海軍軍人になる為に必要な精神鍛錬、心構えの持ち
方、日常生活における所作行動を、練り上げる為に、練成の手は緩められることな
く、5月は、終わろうとしていた。

たしか、5月末に近い日か、6月の早い日に、突然、編成替えの命令が出された。

聞くところによると、前線の後退時期が早まり、基地の臨戦態勢の強化完成がいそか
れると言うことで、戦雲急な事態を感じ取る事になる。

編成替えは、福空に在隊している、甲飛14・15期の各分隊全員と、われわれ16
期の分隊が混成になり、陸戦隊組織に改編され、その態勢で、飛行場の臨戦整備の完
成を急ぐことになったのである。

編成替え風景
我々は、14分隊の兵舎を、各個が、衣嚢を担いで、本部棟前の広場に向かって、兵舎
に別れを告げた。
初めての、移動経験であり、どの様にして編成が組まれるのであるか、皆目知識はな
いので、不安と今から変わる生活様式に、少しでは在るが、希望も持っての整列で
あった。

その時の、司令の訓示は記憶していない。多分滋味あふれる内容では在ったのであろ
うが、漸く勝手が判ってき始めた期友と、離れ離れになることの不安に慄いていたの
であろう。

いよいよ、編成替え作業が始まった。
名簿が出来ていて、配置が令されるのかと思っていたら、遇数番号左に列を作れと礼
され、第何列と、第何列とが、一個中隊といった編成作業の仕方であった。

そのような、区分が終わった後に、旧分隊の班長が分隊名簿に配属分隊を、氏名を書
くにしながら記録していくということであった。

それ以後、終戦までに何回か、編成替えの場面を、体験したので、その
ときは、気心の通じた期友と離れないような要領を使うことになった。

私が、編入された中隊は、第2中隊であったと記憶しているが、集まった面々は、 
14・15期生の飛行兵長が約3分の1と、我々16期生の一等飛行兵で編成され、
2小隊(2こ班)が組織されたように記憶している。

1班の編成は、14 期生が班長になり、その下に14期生3〜5名、15期生3〜
5名、16期生6〜8名で、合計16〜8名程度の組み合わせであった。

さあ、初めて、上級者と、生活をすることになり、いろいろな、戸惑いが生じたので
あるが、そこは、予科練の先輩後輩の気脈が通じていたのか、さほど、陰湿な関係
ではなく、特に、14期は16期を兄のような気持ちで暖かく扱ってくれたようであ
る。


つづく


最終更新(1998/12/12)