船狂ち爺さんの

「私の予科練記」第17回

入隊から 5月までの アラカルト




故郷からの手紙
練習生宛ての、郵便物は、全て、教員室で受け取り、開封の上、検閲の後、各人に渡
される仕組みになっていた。
発信にが女性名であったら、これは、どんな関係の人かと質される。従妹、親戚で同
姓で在っも、しっこく聞かれた。

時には、恋人からの恋文も在ったりで、その時は、全員に披露されて、本人が、娑婆
気を出さないよう冗談めかしで、話の種に、わざとされたりしていた。
つぎに、発信についてだが,これも検閲され、不都合な部分は、真っ黒く墨で消しこ
みがなされる。

それに、我々の乙分隊士は、広島高師出身の予備生徒からの見習士官であったので、
文章、当て字、誤字の添削も厳しくなされた。
私は、元々筆不精のせいも在り、あまり手紙を書かなかったが、まめな者も居り、良
く手紙を出していた。

この様に書くと、現代ではプライバシーの侵害ではないかと、息巻かれる方も多いと
思いますが、これが、戦時下の軍隊の実情ですので当然と受け止めていました。

分隊対抗相撲大会
海軍で、相撲が盛んなことは、いろいろな海軍文集に出ていますね。
海軍記念日に、福空でも、分隊対抗の相撲大会が開かれました。その時は、選手で無
い者は、応援していたのですが、一寸、団体行動の規制が緩められて、自由な時間が
出来たものですから、つい、気が緩んで、先輩を尋ねたり、親しい期友と、ブラフラ
したりしてしまいました。

ところが、我が分隊は、対抗戦で、惜敗してしまいました。

それからが大変。
当日の夕食は、入隊してはじめて、お目に懸かる、頭付き魚の甘煮のほかに、何かご
馳走があり、ウキウキして、食卓について、班長の懸かれの令を心待ちしていたとこ
ろ、先任教員の待ての一喝があり、今日の敗退は、応援をしないで、ウロチョロした
者どもがいるからだ。怪しからぬと言うわけで、ご馳走が既に配膳してある食卓を、
二人掛かりで、捧げ上げろの号令で、あの、頑丈なテーブルを頭の上高く支える罰直
が始まった。

重いし、汗はかくは、よろよろするはで、傾けると、折角のご馳走が落ちるし、皆必
死の形相でがんばったようである。

降ろせの号令で、ホッとしたものの、それから、数分説教が続き、付けの令で、食事
にかかったときは、食事時間の終わり近く、ご馳走の味もそこそこに、かっ込んだも
のの、時間が足りず、涎して、残飯処理する羽目になり、恨めしいことしきり、誰を
恨む訳にもいかず、只、残念がるばかりの一巻のオワリである。

飛行場整備作業中の日課
予科練教育中止による、土方生活が始まったが、今までの、日課が、陸戦とかその他
の、座学が、飛行場作業に替つただけで、朝晩の、兵舎内の生活は、予科練教育中と
替わらず、指導教育も厳しくされ、温習時間には、通信の受信訓練も続けられてい
た。

空襲警報
福空在隊中、空襲警報で防空豪に、避退したのは、二晩だけであったようで、それ
は、博多の街に、夜間空襲が在った時のようで、夜間の退避は、寝姿から、略服を着
て、かく分隊所定の豪に避退するのであるが、そのときは、真っ暗闇の中、期友と私
語を交わすことが出来るので、楽しい一時にもなった。

昼間、通信講堂で、課業中に、空襲警報が出て、ギョッとした、表情をしたら、前線
帰りの通信教員が、何をオタオタするか!!と言って、敵機からの射線を逃れるのは
こうするんだと、言って、その場に一瞬の間合いで倒れこんで、ゴロゴロと横に体を
数回回転させて、数メートルも離れたところで、やおら、立ちあがりこうするんだと
諭され、実戦経験の兵隊の凄さを目の当りに見せられ慄然としたり、感心したりで
あった。

福空には、隊から離れた、町の小高い丘に、横穴式防空豪が掘られていて、各分隊
が、入り口の偽装をする事になり、在る日、作業員が4〜5名出ることになり、たま
たま、K県出身の者ばかりで、分隊長(K県出身)に引率されて、偽装作業(草木を入
り口に立てる)に出た。

作業も済み、分隊長の配慮で休みをとり、同郷同士の気安さで、方言丸出しで、楽し
い語らいを持っていたら、分隊長が俺も、方言は判るんだぞ、ほどほどにしろよと冷
やかされたりしていたら、福空の副長(この方もK県出身??)の巡視があり、うちの
分隊長にやっていますかと言って笑顔で去って行かれた。

今、考えると、軍の方針で、防空豪の構築をしているが、現地としては、たいした効
用は信じていなかったのではないかと疑いたくなるような光景に映った。

その、隊外の防空豪への避退訓練が一度だけあった。駈足の行動でバテた、記憶があ
る。その時は、防毒マスク入りの袋を背負っての行動であった。

映画会
娯楽の無い、生活の中で、二回ほど、映画があった。それは、野外運動場に、高く大
型のスクリーンを張り、その、スクリーンの前面と裏側に、見物席をしつらえるの
で、丁度我が分隊は、裏側の位置に指定されたので、椅子替わりに、各人の手箱(日
用小物と私物を整理する、薬箱程度の木箱)を、片手に持って席につく。

その時の、映画は,確か,高田馬場のシーンがあった。ところが、裏からの影法師を見
ているわけであるから、堀部安兵衛が、左ギッチョで、チャンチャンバラをするので
勝手が悪いこと甚だしいことで、愉快な思い出で在る。

その他、観たのは、戦後のテレビなどで放映されている、米空母に特攻機が突入する
場面の捕獲品のフイルムであり、驚いたり感心しきりである。


つづく


最終更新(1998/12/12)