私は昭和32年、広島県広島市で生まれました。ご存知のように広島は昭和20
年8月6日に世界で初の原爆の洗礼を受けた町です。昭和30年代といえば、原
爆スラムと呼ばれるバラックもまだ多数有り、戦争の傷痕もまだ数多く残って居
た時代です。
広島には寺町というお寺が密集している町があります。そのお寺の一つが経営し
ている幼稚園に入園しました。その幼稚園では園児達をバスに乗せていろいろな
ところの見学に連れていってました。その場所の中に次の2個所が有りました。
小学校時代はこれといった出会いはなかったと思います。中学校までスキップし ます。 中学は私立のH中学に入学しました。よくある制服は陸軍スタイルですが、ここ の制服は海軍スタイルでした。また、この学校には旧海軍士官や特攻隊の生き残 りといった出身の先生が数名居られました。(異色なところでは、元米国海兵隊 に在席していたという米国人の先生も居られました。)教育方法もかなり、旧海 軍兵学校のやり方を意識していたようなところもありました。例えば、5分前と いうことを徹底的に指導されたこと。紳士(ジェントルマン)であれと言われつ づけたこと。休憩時間が終わるとベルが鳴るのですが、ベルが鳴り始めるとこれ までの動作をすぐに中止し、その場で直立。ベルが鳴り止むと同時に次の動作に 移る事など、後に江田島教育の本を読むとよく出てくるような教育を受けていま した。 その後、同じH高等学校に進み、そして東京の理系の大学に進みました。就職も 何かの縁で防衛関連の案件に従事する事もたまにありました。次章では、海軍に 興味を持ったきっかけともいえる本の話をしましょう。 |