船狂ち爺さんの

「私の予科練記」追憶編 四

私にとっての予科練




 S5年生で、軍隊経験を持つものは、数が少ない、軍隊経験者はS6年生画最年少
写である。その中で、私は、短い期間ではあったが、予科練生活を経験した。今に
なっては、それが誇りにも思え、貴重な体験であったと思っている。

 予科練を志願した頃は、当時の映画で描かれていた華々しい世界をイメージし、
憧れていた。
入隊してみると、現実は、格差があることが段々判ってきた。それでも、憧れて志
願してきた予科練であったので、希望とプライドを心に秘めて、頑張っていた。

 『人も嫌がる軍隊に志願してくる馬鹿も居る』と言った、戯れ歌に在るように、
軍隊は、ユートピヤではなく監獄か奴隷社会にに近い存在でもあった。軍隊生活
は、軍律厳しく過酷な生活を求められることは、承知の上で志願したのであるか
ら、厳しさは当然と思って我慢も出来た。

 しかし、下士官教員による、罰直の中に、これほどまでもしなくてもと思はれる
ようなこともあったり、只、頑強な精兵を育てるためとはいえ、練成は厳しく、時
として、不合理な言いがりみたいな罰直を受けるとき、落胆したり、嘆いたりして
いたが、歯を食いしばって頑張り通せたのは、激励して送り出してくれた、家族や
故郷の人の人々を思い出して、自分を鞭打って遣り通したような気がしている。

 練成カリキュラムも戦時急造練成型に変更されており、長い伝統の海軍軍人育成
の美風も廃れていた。其のことは、日課や、待遇、設備もお粗末なものになり、士
気も荒荒しい雰囲気になっていたようである。

 予科練教育中止の後、目まぐるしく移動と編成替えを経験した、我々は、落ち着
いた日も無くして終戦を迎えたわけで、なんだか、作業要員みたいに、あの現場、
この現場と渡り歩いたような感触が残っている。

 しかし、短い期間の軍隊生活では在ったが、甲種飛行予科練習生としての誇り
は、胸に秘め、恥ずかしくない行動を取ることで、屈折した心中を慰めていた様に
も思う・

 どの世界でも、要領の良い者は、楽をするもので、私は、父が、要領を遣うな、
真面目に勤めよと教えられており、私自身の性格も正直なほうであったので、要領
を使うことは潔しとしなかったので、馬鹿が付く正直を貫いて、いささか、損な役
割も多々在った。

 それも、古き良き時代の海軍の伝統が廃れたためでも在ったろうと思っていた。
そもそも、軍隊は公明正大で正々堂々と使命を果たしていくのが軍人の本分と信じ
疑わなかったが、我々が経験した、予科練生活は、少しずれていた様にも思える。

 当時は、戦局悪化し、総国民臨戦体制であったのであり、我々は本気で生命を賭
して国家に殉じ様と決意していた。本文でも書いたが、犬死だけはしたくなかっ
た。自分が肉弾としてやるなら、何らかの戦果が上がることを信じられるものな
ら、どのような配置でも依存は無いと言った心境で居た。

 入隊中は、戦況についての、情報は、断片的では在ったが、どこからか、伝えら
れていたがそれも、微々たる量で我々は、想像をめぐらしながら期友と話題にして
いたが、娑婆の情報は皆無に近く、日本の国土が空襲により壊滅状態になっている
ことは知らなかった。ましてや、駐屯地の近くの、長崎の原爆被害も全く知らされ
ていなかった。

 短期間ではあったが、過酷な訓練と課業を耐え抜いたことを思い出すと、今日で
も、どんなことにも耐えられそうであるが、それが難しいのである。軍隊と言う環
境は、極限の力を絞り出させる何かがあったのてあろうと思いを馳せるこの頃であ
る。

 戦後、軍国主義反対の運動家が、軍人までも蛇蝎のごとく誹謗しているのを聞い
て、憤慨したものである。我々は、国の存亡に、祖国の礎と成らんと滅私奉公の純
粋な気持ちで志願したのに、只一部の軍人が過ちを犯し、人道と倫理に悖るからと
言って、蛇蝎のごく言われ扱われることに対し屈辱と怒りに駆られた。

 戦争を賛美する者ではない、世界は、戦争は罪悪と言いながら、経済戦争、宗教
戦争、民族戦争、覇権争いと、戦後50年戦禍は絶えない。人間社会が争いの無い世
界を作るまでは、今から、どれほどの年月がかかるか、目安さえ建てられない現実
を考えるとき、わが国の安全と存立は、どうなるだろうとの危惧が、何時も心の中
によぎります。

 わが国では、平和と戦争反対を掲げれば免罪符の様に、 どんなことを言っても
喝采といった風潮が見えるのは、残念に思う、現実的に戦争という事件は、起こり
うるのであり、わが国だけが埒外に置かれ、何時までも蚊帳の外に居られる保証は
何一つ無いと思う。

 戦争反対と、危機管理の体制を考え対処することを混同して、国防に無関心で
あったり、何も構えないのはどうしてだろう心配して止みません。

 私達は、戦場の第一線には立ちませんでしたが、先輩は、戦場で懸命に任務に従
事し苦労を重ねてこられましたが、戦後の軍隊批判に嫌気がさされたのか、あま
り、戦場の体験を話してもらえないで、亡くなり話を聴く機会もなくなりました。
少しでも、戦場には参加の経験の無い我々でも、国に殉じ様とした精神は語り継げ
るのではなかろうかいや、語り部として少しでも伝えなければと言った気持ちで投
稿してきました。

 勿論、私の考えを押し売りする気持ちは、毛頭も有りません。ただ、その様なこ
とも有ったかと判っていただけるだけでも幸いと思っています。

 S51年に、熊本で九州甲飛16期生大会が開催され、各県が順次当直県を引き受
け、毎年大会が会されて、同期の友と語合うとき、何時も我々には、其の時代のこ
とを、語り継ぐ役割があるのではなかろうか、最後の予科練生としての責任であろ
うと話し合っています。

 長い間、お読みいただいて有難うございました。

完結

最終更新(1998/12/29)